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女子中学生誘拐監禁事件とアニメと心の境界

女子中学生誘拐監禁事件について。
被害者の子が開放されて、犯人も逮捕されて、何よりのことです。
みんなの心が癒えますようにお祈りします。

この件について、犯人がアニメから影響を受けて犯行をおよんだかのような報道がされたようですね。
そして、それに対してアニメを愛好する人達から批難の声があがっています。
至極、当然のことでしょうね。
私も、あまり普段からそういう話題は出しませんが、アニメは楽しく拝見させていただいております。
しかしこうした報道がされると、不安を感じるのではないでしょうか?
このままアニメを見ていていいのだろうか?と。
そして、不安は他人を攻撃する動機になります。
これはあまり良くないことですね?

私は、このままアニメを見ていていいだろうと思います。
それは、人がアニメを見てその影響を受けないと思っているからではありません。
人はアニメから影響を受けないということは無くて、例えば「だったら私は今頃~」とか言っても、
それはやるにやれない事情があってのことなのだと思います。
私の例で言えば、私自身が魔法少女になったりするのは諸事情により無理なのですが、
マスケット銃について調べてみたりしました。
これは間違い無くアニメの影響です。

アニメに影響を受けないということは無いのです。
行動は変わらなくても、心が変わるということもあるのです。
心が変わる結果、体も変わることがあります。
心を変えずにいるにはある種の悟りが必要ですが、そんなこと誰しも簡単にはできないのです。

しかし、それと誰かを誘拐することはまた別のこと。
アニメに影響を受けても、できることとできないことはあるもので、
普通の人は良心がありますから、子供を誘拐することなどできないのです。
だから本当は、犯人に良心足り無きことをば論じられるのがもっぱらなのに、
犯人がアニメを好むことを引き合いにだすのは奇妙なのです。

これがもしも犯人が熱心なカーマニアで、高級車を盗んだ事件であったならば?
だれも彼がカーマニアであることを理由に批難したりはしないでしょう。
これがもしも犯人が熱心な仏教徒で、お寺から仏像を盗んだ事件であったならば?
だれも彼が仏教徒であることを理由に批難したりはしないでしょう。
批難する理由は、彼が何かを盗みたいと思い、それを抑えられなかった良心足り無きことのはずです。

アニメは心に影響を与えますが、良心には影響を与えません。
車は心に影響を与えますが、良心には影響を与えません。
仏教は心に影響を与えますが、良心には影響を与えません。

良心は、心という字が含まれていますが、普段の心とは違うものなのです。

ただし、アニメを見るときには、私もそうなのですが、
夢中になった結果、呼吸が浅くなっていたり、姿勢が悪くなっていることが多いです。
そういう時は、良心はあっても心がうまく働かないものなので、よくよく注意あるべく候。
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科学と芸術の境界

科学とは何でしょうか?
思うに科学とは客観的な観測によって得られる結果を元に『とある物事』の真理を求める行為だと思います。
人間による観察では本人が持つ『とある物事』に対する好悪の感情が邪魔をし、客観的な観測ができない時があります。
だから昔の学者は、人間の感覚に頼らずに客観的な観測をする方法を苦心して発明してきました。
その一つが、体重計です。

以前私はとあるダイエットを・・・いや、厳密には一種の健康法のために食事制限をしたことがありました。
ダイエットを始めて約半年後、10kgほど体重が落ちた時に友人にそのことを話しました。
ちなみに一緒に健康診断を受けているので、ダイエットを始める前の体重はお互いに承知しています。

友人は言いました。
「え、嘘でしょ?」
しかし体重計はそれを証明している。嘘じゃあないんだぜ。
「そんな方法で痩せられるとは思えない。逆に太るはずだ」
しかし体重計はそれを証明している。
「だいたい見た目も痩せたように見えないけどな」
しかし体重計は(ry そもそも毎日一緒だからわからないのでしょ。
「何かの病気なんじゃないの?」
しか(ry
「かわいそうに、仕事でこき使われてストレスがたまってるのね」
し(ry っていうか同じ部署じゃないか!

・・・と、こんな感じて私のダイエットについて友人から理解を得ることはできませんでした。
「話せばわかる」あるいは「客観的なデータを示せば納得する」的な論にはあるポイントが欠けています。
それは人間は自分が思っている以上に理論よりも感情の方を優先する動物だと言うことです。
だけど私は人間のそうした性質を批判したいわけではありません。
科学が今よりも一般的になる前の世の中にも、
人間の主観的な観察から得られた結果を元に物事の道理を求めんとする人達が多数いました。
そうして生まれた尊い教えは現在でも宗教や芸術、そして武道の中に生きています。
もしも誰かに何かを理解してほしいと考えているならば、
こうした芸術の業でアプローチを試みるのも一つの方法として有効かもしれません。

ちなみに私の主観的な観察結果によると、
私は件の友人が大好きなのだ。

(※ダイエットは本来『食事』を意味する言葉ですが、
 日本では一般的に運動することも含めて減量の意味で使われているのでこう表現しています)

お正月に祖父とテレビで肉牛を見た時の話

今回は屠殺についての話です。
よって、まずそれが苦手な方は閲覧をお控えください。
また、書き手にとっても神経を使う話題であります。
筆者に特定の主義・主張を支援する意図が無いことをどうぞご了承ください。

お正月。
私は実家に帰っていました。
祖父と一緒にコタツに入ってテレビを見ていた時のことです。
テレビに映っていたのは、のどかな島で育てられている肉牛達でした。
なんでもエサの中にオリーブを混ぜているとかで、お肉がおいしいのだそうな。
「「うまそうじゃの~」」
お肉の美味しさを引き立てるために、さっと火を通したお肉はオリーブオイルと塩だけでいただきます。
テレビのタレントさんが・・・

ふと、祖父が思い出したように言いました。
「前に牛を屠殺するのを仕事にしとる人と酒を飲んだことがあってなぁ・・・」

その人は、毎日毎日、来る日も来る日も、大きなハンマーで牛の頭を叩いていたそうです。
「例え仕事でもなぁ、こたえるんじゃあ。魚をさばくようにはいけれんがな。
 牛は人に懷くけんのぉ」
自分の仕事に、徐々に徐々に嫌気がさしてきたその人は、突如大切な人を失いました。
息子さんが海に落ちて死んでしまったそうです。
その事を祖父に話し、涙ぐみながらこう言ったそうです。
「(祖父)君、“罪”はつくるもんじゃあないで」

無論、息子さんの不幸な事故と、屠殺の仕事には何の因果関係も無いのでしょう。
しかし、そうやって簡単に自分を納得させることができないのが人間のつらいところなのでしょうか。
「もう、ハンマーを持つ手が震えて、ダメなんじゃあ・・・
 でも、わし以外にやってくれる者がおらんでのぉ・・・
 電気で殺す方法もあるんじゃけれど、肉がまずくなるんじゃあ・・・」

その後その人がどうなったのか、祖父は話しませんでした。

『何もしないこと』を一生懸命にやること

最近、少し思うところがあって『何もしないこと』を始めました。
自分の気の向くままに、立って、座って、寝て、何もしないようにしています。
そんなことをしていると、過去にあった良いことや悪いことが心の中に浮かんできます。
そういうモノが心に浮かぶのを自分から邪魔するわけでもなく、ただ眺めています。

自己啓発本の類にはよく、悪いイメージをポジティブなイメージに変えなさいとか、
あるいは仏教の解説本にも、そういうイメージを煩悩や邪念と定義して、心を無にしなさいと説いていたりします。
しかし、例えば過去にあった悪いできごとが心に浮かんだ時に、
「私にとっては不快なできごとだったかもしれないけれど、きっと私の成長につながるのだ。世の中そんなもんだ」
といった自分に対する言い訳めいた理論を脳内で展開したり、
あるいは、そもそも過去にそんなことが無かったかのように振る舞うのは
かえって自分の心体が硬くなるような心地がしました。
だから、もう何もしないでただ眺めているだけなのです。

そんなことをして一体何になるんだ?と思う人もいるかもしれません。
だって、私だってどうなるのかわからないのですもの。
しかし、喉が渇けば水を欲しがるように、今の私に必要だから私の心がそれを選択しているのだと思います。
そのうち何か成果のようなものが得られたならば、きっと報告させていただきます。

岡山古武道祭

本日は岡山古武道祭に参加してまいりました。
昨年も参加する話はあったのですが、仕事のため行けなかったので今年が初参加となります。
たいへん寒い中での演武でありましたが、無事に終わりましてなによりです。

武道をやっているとみんなそうなってしまうのか、岡山古武道祭の総元締めにもあたる竹内流柔術の宗家さんは、
失礼ながら、たいへんまろやかで味のある人物で、一発で私はハートを鷲掴みにされてしまいました。恋だな
しかしそこはやはり宗家で、実際に演武をされると激しい気迫が発せられます。
女の子だって、いざ演武をする時はすごい気迫です。
おじいちゃんだって、すごい気迫です。
子供だって・・・か、かわいい・・・!!

岡山古武道祭は三部構成になっておりまして、
第一部は各流派の先生による模範演武、
第二部は少年の部、
第三部は一般の部となっております。
私が演武したのは一般の部です。
各部間に特にインターバルがあるわけではないので、配られたお弁当は砲術の演武を見ながら食べました。
私が口からお米を吹きそうになったのは言うまでもありません。
すみません、正直侮っていました。
特に最後の50もんめ(50口径じゃないよ)の発射の際には音の壁を叩きつけられた衝撃を感じました。

更衣室から会場へ向かう廊下や、練習用に開放されている剣道場では他の流派の方達とも頻繁にすれ違います。
特に目を引きつけてやまないのは甲冑剣術である初実剣理方一流の方達でしょう。
こういう機会でなければなかなか甲冑武者は見れないものです。カッコええだ~!
また竹内流で鎖鎌を使うのを初めて見ました。
竹内流は様々な武器を使うと知っていましたが、驚きです。

また戸山流の演舞もありました。私が習っている戸山流は山口先生を流祖する団体で、
今回の古武道祭に参加されている戸山流は森永先生を流祖としている方の団体です。
よって、かなり内容に差があることがわかりました。
また、山口派の戸山流には陸軍戸山学校時代に本来なかった『八本目』の型があるのですが、
どうやら無双直伝英信流から輸入した型らしく、
立つか座るかの違いはあれどほぼ同じ内容の技があることが確認できました。

今回の古武道祭参加では日頃の稽古以上に得られるものが多かったと感じております。
また来年も参加させていただきたいと考えています。

※訂正※
本記事の中で「竹内流柔術の宗家さん」と書いてあるのは竹内藤十郎氏のことですが、正しくは「相伝家」でした。
私の認識不足をお詫びするとともに訂正をさせていただきます。
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プロフィール

念仏の白帯

Author:念仏の白帯
↑Authorって「著者」って意味なんだって!
戸山流居合道と兵法二天一流剣術を習っているサラリーマンです。仏教も独習中です。・・・時に間違いがありましたら師の教えを解さぬ私の不得の致すところでありますのでどうかご容赦ください。

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